Once again

ざわめき響く音は梢の雑音

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昔のことがよみがえる

日記

つい先日、私の地元の町で成人式が行われた。
私は行かなかったが、今の時代、便利なもので、
たくさんの人がTwitterなり、Facebookなりに
ご丁寧に写真付きで投稿してくれる。
多少名前を変えていても、知り合いをたどっていけば
簡単に誰だか分かってしまうし、そもそも
ぼかし加工もしていない写真を自分でアップしていれば
匿名性なんてあったものじゃない。
そんな訳で、遠く離れたネットの向こう側から
地元の成人式の様子をここ数日、眺めている。

写真に写っているのは、同窓会と成人式の様子である。
メンバーは、大体が同じ中学校の出身者で、
若者らしく、みな綺麗に化粧をし、
おしゃれを楽しんで、楽しそうに写っている。
同窓会で、居酒屋らしき場所で盛り上がっている様子を見て
吐き気がするのは、私がおかしいのだろうか。

中学校1年生の時のことだ。
あの頃、友達はみな、
私には何をしても許されると思っていたのだろう。
普通の友達相手にならば発揮されそうな気遣い、例えば、
相手に嫌がられるようなところに踏み込まない、というような
気遣いが全くなかった。
ただの悪ふざけと考えていたのかもしれないし、
私も本気で怒れば友達とうまくいかないと考えて笑っていたが、
実際のところは随分傷ついていた。

学校の休み時間、クラスの複数の友達が私の筆箱をパスでまわし、
取り返そうと躍起になる私を見て笑うというようなことがよくあった。
教室の机の上に置いておけば、すぐに友達の手が伸びてきて隠し、
私がそれに気づけば私に返さないように投げ合いが始まった。
それだけでも我慢ならないのに、
筆箱が友達から別の友達へとパスされた際、中に入れてあったコンパスが、
筆箱から飛び出して受け取った友達の手に刺さった。
このことを、皆が「筆箱にコンパスを入れていた私が悪い」と
私のせいにした。
このことを勇気を振り絞って担任に相談しても、
「それをやられて嫌だと思ったんだね?」とまるで尋問のように聞かれ、
改善もしなかった。
その担任は若く、経験不足がにじみ出ているような頼りない先生で、
いじめなのかどうか見極めようとしてくれていたのだろうが、
結局、問題なしと判断してしまったのだろう。

休み時間に、友達と一緒に絵を描きたいと思っても、
私が近づくと私が描けないように手でノートをふさがれた。
ふざけていたつもりなのだろうが、
この友達のところで拒否されると、他に行く友達のあてもないため、
寂しい思いをした。

下校時に、同じ道を使う人間が執拗に
私の足を蹴るということが続いた。
蹴ってきたその人物をHとする。
Hは、何かにつけて私の足首辺りをしつこく蹴ってきた。
私のズボンは蹴られてボロボロになった。
やめてほしいと言ってもやめてはくれなかった。
この状況を見かねた先生が話し合いの場を持った。
そこで、Hは私の足を蹴った理由について
とんでもない言い訳をしたのだ。
「話の中心にいる私が羨ましくてつい蹴ってしまった」と。
Hは普通に過ごすということができず、
いつも人に意地悪をしたくてたまらないというような顔をしていた。
そのため、Hの言葉は到底受け入れられるものではなかった。
あと、なぜあの状況で私が皆の話の中心にいると思えるのか。
私が皆に虐げられ、笑って道化になることで保たれてきた
危ういバランスの雰囲気が楽しそうに見えたのか。
まともに扱われていない私が皆の中心にいるように見えるものか。
この話し合いの後、Hが私を蹴ってくることはなくなり、
大人しくなったように見えたが、彼女の表情には常に
底意地の悪さが浮かんでいて、なるべく彼女に近寄らないようにした。

クラスに性格が悪く人の悪口しか言わないような人がいた。
仮に、Mとしよう。
Mには幼稚園の頃に「パンツを見せて」とトイレに押し入られ、
おまけにトイレをするところまで見られた。
幼稚園で他にも散々にいじめてきた天敵である。
中学1年の時に、Mと同じクラスになった。
体育祭の練習の時に、
Mにはぶかれて意地悪をされ孤立していた人がいたので、
この人もMの被害者なんだとかわいそうに思い、
グループに招いて一緒に練習していた。
この人をSとする。
Sは、孤独だったところを助けてあげたことをすぐに忘れ、
私をいじめてくるようになった。
理科の授業の時、同じ班だったのだが、
実験道具を用意しても「全然働かない」と嫌味を言われ、
実験道具を持って来れば同じものをわざと先に用意し
「もうあるからいらない、なんで持ってくるの?」と怒鳴られた。
頻繁に私の悪口を同じ班の男子と聞こえるように言ってくる。
理科の時間は苦痛でしかなかった。

文化祭の合唱コンクールの時、
私はピアノ伴奏に立候補した。
同じくクラスの他の人も立候補し、何らかの方法で
どちらかに決めることになった。
ピアノ伴奏の枠を争った相手を仮にTとする。
Tは、表面上は友達が多く、好かれる人間だったが
裏では悪口、取り巻きをはぶく、いじめなどやりたい放題。
いつも10人近い取り巻きがTの周りを囲んでいた。
私はTと話し合いをして決めようと思ったのだが、
Tの取り巻きが私の周りを囲み圧力をかけてくる。
睨みつけたり、怒鳴ってくるような人間もいた。
結局、ピアノ伴奏はTが担当することになり、
その後の2年もTと同じクラスになってしまったために
ピアノ伴奏を3年連続でTにとられた。

中学2年のときに、私はいじめられていた。
誰かに近づけば「うんこ」と不名誉な名前で呼ばれ、
「こっち見るな」「きもい」「菌がうつる」など、
大抵の悪口は一通り言われていると思う。
ちぎった新聞を浴びせられたこともあった。

ある日、今も付き合いのある例の友達が
「前髪を切ってみたい」というので、
ちょっと伸びてきていたし、何よりその友達が私の髪を切りたいだなんて、
何だかすごく特別なような気がして、じゃあ切ってもらおうということになった。
友達は、何かスプレーのようなもので濡らし、私の前髪を切っていった。
ただ、濡れていると多少髪は伸びるので、
濡れている状態で長さを合わせると大変なことになる。
案の定、その時も短く切りすぎて額の真ん中くらいの長さになってしまった。
あまりに短すぎるので、笑われるだろうことは想像に難くなく、
翌朝、学校に行きたくないなあと思ったが、行かないわけにもいかない。
学校に行くと、教室への廊下を歩いているときから
周りをいじめてくる人間が囲んでくる。
さんざん笑われ、友達にも笑われ、
こんな前髪にした張本人にも笑われ、もう散々だった。

ある日、教室で、クラスの友達から
「眼鏡をやめて、髪もおろしたら可愛くなるのに」と言われ、
その友達が私の髪留めを外し、髪を櫛でとかしはじめた。
それを見つけたいじめてくるクラスメイトが、
私たち以外の全員に教室を出るように扇動し出した。
教室は私たちを除いて空になり、
廊下はこの騒ぎを聞きつけた人であふれかえった。
教室には前と後ろの2枚のドアがあるのだが、
そのドアからいじめてくる人間がこっちに向かって
「きもい」「やばい」「妖怪」だのと叫び始めた。
ドアから覗きこみ、ニヤニヤとするたくさんの顔から
吐き出される屈辱的な言葉の数々。
他のクラスの人からもいじめられていたため、
このセリフを言っていた人間は数えきれないほどいる。
侮辱の怒号が廊下で飛び交っている異常な状況。
私の髪を櫛でといてくれた友達は「お前らがきもいんだよ」と
憤慨してくれていたが、私はもう諦めの境地に至り、
「もういいよ、やめてほしい」と頼んだ。
泣かないので精一杯だった。
普通の女の子のように、髪型の自由さえも認められない自分が
みじめで、どうしようもなかった。
本当は、髪をおろしてみたいのだが、この時の記憶がよみがえって
未だに人前で髪を完全におろせたことがない。
一生おろせないような気もする。

理科の実験で、人の反射の速度を計るというものがあった。
みんなで手を繋ぎ、片手を握られたと思ったら
他の人と繋いだもう片方の手を握って
反射の速度を調べるというものだ。
先生が「この実験をまずは同じ班の中でやってみよう」と言った時、
私と同じ班の人間は皆一様に「こいつ(私)と手を繋ぎたくない」と言った。
「まじやばいよね」と斜め前の人間が言い、
「みんなそう思うでしょ、まじきもいもん」と目の前の人間が
イスを引いて私からあからさまに距離をとりながら返した。
4人グループなのだから、私を除いた3人のうち誰か2人は
私と手を繋がなければならない。
残り1人の私と手を繋がなくてもいい人になろうと、
押し付け合いが目の前で繰り広げられた。
「お前がやれよ」「いや、お前だろ」「お前がやればいいじゃん」…。
もう、顔をあげることはできなかった。
結局、先生が「全員で輪になってやろう」と言ってくれたので、
なんとかなりはしたが、苦しくて仕方がなかった。

理科室に入った時、先に理科室に入っていたいじめてくる人間たちが、
私の姿を見るなり大爆笑し始めた。
「きもい」「やばい」等の言葉と共に。
なぜ理科室に入るだけで笑われるのか。
みんなにいじめられているから、相当ひどい表情をしていただろうが、
そうさせたのはお前らだろう。
ぶしつけな視線から守ってくれたり、擁護してくれる人など1人もおらず、
私はこの大爆笑の中、孤立した。

もう1年生の時に無駄だと分かっていたはずなのに、
藁にもすがる思いで、担任にいじめのことを相談した。
1年生の時とは別の担任である。
数々の暴言や悪口のことを話したのだが、
「そいつはその日体調が悪かったから『気持ち悪い』って言ったんだよ?」
とかなんとか言われ、全く受け止めてもらえなかった。
私に「気持ち悪い」と言ってきた人間はたくさんいるが、
全員が体調不良だったとでもいうのか。
そもそも、私は「気持ち悪い」と言われた具体的な日にちを言っていない。
毎日言われすぎて言われた日をあげればキリがない。
なぜ私が「気持ち悪い」と言われた日に言ってきた人間の
体調が悪かっただなんて知っている?
後日、私が名前をあげた生徒に聞き取りを行ったとのことだったが、
誰一人私へのいじめは認めず、いじめはもっとひどくなった。
担任も、いじめの解決などという面倒なことはしたくなかったのだろう。
いじめを解決したってしなくたって、担任の給料は一緒なのだから。
この担任に、いじめの存在は握りつぶされた。

保健室で、スクールカウンセラーが私に
「何か悩みがあるなら言ってごらん」と話しかけてきたが、
信用などできなかった。
そのスクールカウンセラーは、
私の勘だが、親身に相談に乗ってくれるようには思えなかった。
窮地に追いやられている人間を救う自分に酔いしれているような
人物に見えた。
担任にいじめが握りつぶされたことで、学校側に
信頼できる人間などいなかった。

ここではいじめでされたことを書ききれないが、
もっと多くのことをされた。

そうして、学校へ行けなくなった。
この学校へ行けなかった期間にテストが2つあったため、
成績をつけられず通信簿は軒並み1になり、
前まではBランクだった成績はFランクまで落ちた。

私は、喘息を悪化させ、入院することで、学校から逃れた。
入院中も、私へのいじめの事実を握りつぶした担任は
のうのうと見舞いに現れ、いじめのことなど一言も口にせず
ただ「早く病気を治せ」というのである。
お前がいじめの事実を握りつぶしてくれたおかげで、
私は学校にいられなくなったんだ。
憎しみで一杯だった。

私が長期間学校を休んでいることで、
母が学校に呼び出された。
そこには保健室の先生と、スクールカウンセラー、担任がいた。
母は、スクールカウンセラーからこんなことを言われたそうだ。
「このまま長く休むことになると、娘さんは一生
外に出られなくなります」と。
担任がいじめを完全に握り潰し、他の人間に一切漏らしていないならば
私はただの病欠として扱われていたはずで、
スクールカウンセラーからこんな言葉は出てこない。
なんと、担任は、いじめの事実を保健室の先生や
スクールカウンセラーに伝えておきながら、
いじめへの具体的な対策は行わなかったのだ。
いじめを認識しておきながら、何ら対策を行わなかったことになる。
スクールカウンセラーからこんな言葉も飛び出した。
「フリースクールに転校するという手もあります」と。
いじめへの対策をせずに、いじめを無くす方法。
それは、いじめられている人間を校外へ追放してしまうことだ。
こうすれば、いじめのターゲットがいなくなったことにより
いじめはなくなる。
学校側は、いじめを解決するために、面倒な手を用いたくないあまり、
いじめられている人間を学校から消すという方法を提案したのだ。
その話の間中、私がいじめを訴えた担任は押し黙り、
一切口を開かなかったそうだ。

学校側に味方など誰ひとりいなかったのだ。

中学3年の時。
私は学校に復帰した。

また、Tとピアノ伴奏の枠を争うこととなった。
結局ピアノ伴奏はTの担当となってしまった。
その時に、私の悔しさが伝染したのか
私と同じく泣いた友達がいたのだが、
あの時に担任(いじめを握りつぶした担任)が
その友達に言った言葉が忘れられない。
「本気で泣いてるの?」と、にやつきながら言ったそうだ。

学校に復帰した時、ある計画を実行に移した。

多くの人間が、私の容姿を「きもい」と評価した。
それなら、中学2年までは眼鏡だったが、
中学3年からコンタクトにしてみてはどうだろう。
私は、素顔と眼鏡をかけた顔の印象がけっこう違う。
コンタクトにしても皆からのいじめが続けば私の内面がいじめの原因になり、
コンタクトにしていじめられなくなれば外見でいじめられていたことになる。

コンタクトにすると、効果覿面だった。
今まで「きもい」と言いバイキン扱いまでしてきた人間が、
一切悪口を口にしなくなり、美人だと褒めてくる人間まで出てきたのである。
人間として私を扱うことなどなかった人間が話しかけてくるようになり、
席替えでも私の押し付け合いなど起きず、
他の人と同じように扱われた。
ある人は、
「昔は暗い感じだったけど、今の方が明るい感じでいい」などと言ってきた。
「イメチェン」だとよく言われた。

結局、皆、私の外見しか見てこなかったのだ。
こんな人たちに、私は苦しまされてきたのだ。

これらのいじめを一緒になってやっていた人間が、
成人式や同窓会の写真の中に、何人もいた。
「同窓会、本当に楽しかった」だと?
「やっぱり中学最高」だと?
あんなことを私にやっておいて、楽しいだって?
あんなことを私にやっておいて、楽しむ権利があるとでも?
何の傷がつくこともなく、何事もなかったかのように楽しんでいる?
あなた方は楽しかったかもしれないが、私にとってはあの日々は地獄だったよ。
やった方は1ミリも覚えてはいないだろう。
覚えていても、「あの頃は楽しかったよね」とか
「ちょっとやんちゃしちゃったよね」など
いい思い出話に変換されているのがオチだ。
加害者とは、得てしてそんなものなのだ。

いじめてきた人間は、今でもすべて覚えている。
見た目であからさまに態度を変えたすべての人を、私は忘れない。
同様に、見た目なんかで態度を変えず、
ずっと同じように接してくれた人も、忘れない。



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夜中に布団の中で考えていたこと

日記

私は、相手を窒息させるような方法でしか、
誰かと接することができないのか。
相手との適切な距離が分からない。
仲良くしたいと思えば思うほど、
相手の表情を奪ってゆく。 

自分の勝手な思い込みかも知れないが、
中学校の時までは友達と
歪ながらもなんとかうまくやっていけていたはずだ。
それは、中学生の時までは私の性格がマシだったからとか
そういうことではなく、
ただ単純に周りにいる知り合いが多く、
誰か一人と長く接することがあまりなかったからだろう。
接する時間が短ければ、擦れ合うことも少なくなる。

だが、高校に入ると、そんなに多くの友達はできず、
周りもくっきりとグループに分かれていて、
周囲にたくさんのクラスメイトがいるにも関わらず
誰かと2人きりという状況ばかりだった。
2人きりということは、それだけ濃密な関係になってしまう。
そのためだろうか。
高校2年と3年の時、2年連続で
2人の友達から愛想をつかされてしまった。

高校2年の時は、だんだん相手の態度が冷たくなったが、
私はその理由が分からず、どうすればいいかも分からなかった。
そのため、空元気のような状態で無駄に明るく相手に接していた。
だが、理由のわからない相手の態度の冷たさに次第に腹が立つようになり、
ある日、相手がその場にいることも知らずに悪口を言ってしまった。
当然、関係は決裂した。

その後、彼女が友達になって早々冷たくなった理由を考えてみた。
彼女は我が強かった。
私も他の友人曰くなかなかに癖のある性格らしく、
ハイハイと人に付いていくタイプではない。
そんな私と一緒にいると自分が優位に立てないことに気づき、
面白くなかったのかもしれない。

翌年、高校3年の時。
近くの席に座っていた、前から知り合いだった人と
一緒に行動する友達になった。
最初は仲良くできていたと思う。
むしろ、仲良くなりすぎて、距離が近すぎるほどだった。
しかし、7月の学祭のあたりで、状況は一変した。
あんなに意気投合していた相手と、
何を話してもうまくかみ合わなくなった。
そんなことが何度も続き、
終いには、一生忘れることのできないであろう
一言を言われてしまったのだ。

「紫苑って、人を手なずけようとしてるよね」

なんて言いぐさだ。
私は憤慨した。
その後、納得できずに話し合いはしたが、
「もう紫苑と一緒にいたくない」と、
私と仲良くしてくれたあれは別人だったのかと思ってしまうほど
嫌気がさしたというような顔でそっぽを向かれてしまった。
目を合わせようにも、彼女の視線は逸らされたまま。
「紫苑は私のことがそういう意味で好きなのかなと思ってた」
とまで言われた。
ああ、また間違えてしまったのだ。
友達との距離をはかり損ねた。
相手はひいていたのに、そのことに気づきもせず
はしゃいでいたのだ。
遣る瀬無かった。

そして、大学生になった。
新生活、新しい友達…とうきうきするところかもしれないが、
友人の部分については、
「どうせ、いつかまた失うんだ。
相手に深入りせずになあなあな感じで浅く付き合えばいい。
そうすれば、相手と擦れ合うこともなく、
一定の距離を保てて間違えることもないだろう」と
楽しむことを半ば諦めていた。
ただ、一緒にいる友達は必ず必要だ。
何かの活動でグループを作る時に余ると不都合が生じる。
そういった気持ちで、
入学式の翌日のガイダンスで隣に座った子に話しかけ、
固定の友達となった。
その子とは、出会ってから2年近くになるが、
まだ友達としての関係を続けられている。

そう、そんな関係を続けられてはいるのだが、
私にはこの関係がどうも歪なもののように思えてならない。
私が何かについて
「どうする?」と聞いても
「紫苑の思う通りでいいよ」と返ってくる。
そこに彼女の意志はなく、まるで抜け殻のようだ。
そんなことを聞きたいんじゃない、同じ視線の高さで相談したいのに、
自分の発言に責任を持たなければならないのが怖いのか、
いつも、私の行動につき従うばかり。
他の人とも一緒に行動することがあるのだが、
私に道を開け、ぞろぞろと後ろからついてくる気配。
皆、黙っている。
何だろう、この状況は。
まるで、カルガモの親子のようではないか。
私がリーダーだとでも思っているのだろうか。
確かに、大学での活動でリーダー的役割を担うことが多かった。
だが、普段の学校生活とは何ら関係ないではないか。
友人という関係の中では、そんな主従のようにではなく、
ただ隣にいてもらうだけでいいのに。

違和感が私をとりまく。
なぜだろう。
何かがおかしい。
浅く付き合おうとして濃いやり取りを避けている。
私の毒のある部分を晒さなければ、
相手が疲れて心を投げ捨ててしまうことも、
言いたいことをしまいこんでしまうこともないはずだ。
なのに、なぜかこの友達も疲れ、
押し黙って私の後ろに一歩下がっているように見える。

…とここで違和感を覚えた方もいらっしゃるだろう。
「え、どうせ友達を失うのだから、
適当に、寂しくない程度に付き合いをすればいいやと
思ってたんじゃないの?
平等になりたいとか、結構友達のこと、気にしてるじゃない」と。

そう。
私は結局、「友達」を諦め切れていなかったのだ。
周囲を見回して、
「あんな風に笑いあえる友達がほしい」と。
諦められないから、妙な期待をして、
また裏切られたと感じる。
同じ人格の人間が二人といないこの世の中で、
鍵穴にぴったりとはまるようにしっくりくる人間なんてそういない。
当たり前なのだ。
うまくいくことを期待しすぎるから、
ぴったりとは合わなくて、
がっかりするのだ。

そうして、私はある結論にたどり着いた。

私は、相手を窒息させるような方法でしか、
誰かと接することができない。
私の前に跪かせて押さえつけ、
心の大事な部分を抉り取り、
意志と自由を奪い取る。
気づいた時には表情のない殻しか残らない。
肩を並べたかった相手を自ら壊し、
「平等でいられなかった」と嘆くのだ。

そう、まるで、自由を奪い、動物を手懐けるように。
服従する様を見て微笑む女王のように、
私は「主」となってしまう。
絶対的な支配者。
いつも私が「主」となるから、
相手は疲れ、もうどうでもよくなり、心を手放して
表情の色彩が薄れ白くなってゆく。

あと10日ほどで成人というところまで、
「私」というものの本質に気が付かなかった。

ただ、私の前で、対等でいてくれた人が一人だけいる。
そう、私が好きになった、彼女、その人だ。

小学生の頃、
よく分からないモヤモヤとしたものを抱え込んでいた私は、
鬱憤を晴らすため、最低なことに、彼女をいじめてしまった。
彼女が怯える様を見れば、自分が優位に立ち、
正しいように思えて満足した。

いじめが長く続いたある日、私は彼女を家に招き、
謝りたいといって、いじめの証拠物品をすべて見せた。
彼女の顔色がどう変わるか見たかったのだ。
狼狽する顔を見て自分が優位にあることを再確認し、
楽しんで、モヤモヤを吹き飛ばしたかった。

ところが、彼女に証拠物品を見せると、
あんなに大人しく私からのいじめに震え、
自分の意見を言わずに黙っているだけだった彼女が、
「もう帰る」と家を飛び出したのだ。
彼女が早々に帰ったことに驚いた祖母には
「もう帰らなきゃいけないんだって」とかなんとか適当に
誤魔化しておいたが、
私は内心焦っていた。
押し黙って震えていた羊が、上位にあるこの私に、
初めて反旗を翻したのだ。
今、確かに私は優位に立てていなかった。
そして、この時初めて、
ちょっと楽しむだけだったはずの行為が
彼女を崖っぷちまで追い込んでいたことに気が付いたのだ。

私は、彼女へのいじめを止めた。
その頃、最初は一緒に彼女へのいじめを楽しんでいたはずの
クラスメイトからの視線が冷たくなり、
最初は笑って見過ごしていた担任からの視線も厳しくなって、
居心地が悪くなったのも理由の一つだ。
しかし、それよりも大きかったのは、
私が何一つ彼女をいじめたことへの正当な理由など持っておらず、
彼女を追いこむことの虚しさ、そして
彼女の心を抉ってしまったことに気づいたからだった。
すべて、私が悪かった。
取り返しのつかないことをしてしまった。
私が家で彼女をいじめるネタ作りをしている頃、
彼女は家で泣いていたかもしれないのに。
自分が楽しむことしか考えていなかった。

その後、私は激しく後悔した。

彼女を追い込んだことへの罪悪感が心の中でわだかまり、
彼女と対等に渡り合える機会を
永遠に逃してしまったことに気づいたのだ。
しかし、高すぎる、くだらないプライドから
謝ることができないでいた。

中学生になると、私は上位の立場ではなく、
いじられるキャラクターになった。
最初のうちは、ただ処世術としておどけていたはずが、
いつの間にか下位に見られるようになっていた。
その仕打ちを、彼女も他の人と一緒になって見ていた。
この感じ、知っている。
ぞっとした。
昔、彼女に私がやったことを、
今、彼女も私にやっているのだ。
私は恐れのあまり彼女に聞いた。
「これは復讐なの?」と。
彼女はこう言った。
「そんなわけないじゃない。
もういいよ、そのことは。
気にしてないよ」
背中が冷える感覚がした。
私は一言も、何の復讐なのか聞いていない。
具体的に何のことについてか言わなかった。
それなのに、彼女は、あの「いじめの」復讐が主語となっていることに
すぐに気が付いたのだ。
そんなわけないのはそっちだ。
こっちは謝れてすらいないのに。
どの面下げて、「気にしてないんだ、良かった」だなんて言える。
いつまでたっても、私が悪いのだ。
きっと彼女は、昔の彼女を、今の私に見ている。
まともに扱われていない私を見て、
過去の傷をなだめているに違いない。

いつ憎しみの視線で刺されるのかびくびくしながら、
彼女と「仲の良い」関係を続けていた。

こんなに苦しみを引きずるなんて、思いもしなかった。

だが、中学3年の時、受験のために
彼女と同じ塾に通うようになった。
彼女と行動を共にするうちに、気づいた。
彼女はもうとっくにあのいじめを乗り越えているのだと。
彼女はいつでも人を差別しない彼女であり、
それは昔彼女をいじめた私に対してでも変わらなかった。
どう考えてもいじめのことは私が悪く、
こちらの分が悪いに決まっているため、
一人で勝手に縮こまっていたのだ。
私が臆病になって動けないでいた間に、
彼女はとっくにいじめという過去を突き破っていた。
こんな人に、私はなんてことをしてしまったのだろう。
どうして一番苦しかった彼女は乗り越えているのに、
楽しんでいた私は罪悪感に苛まれ続けているのだろう。
しかし、その感情も、
一日中びっちりと詰まった厳しい塾のスケジュールを
彼女と共にこなすうちに薄れ、
彼女の隣に自然と立てるようになった。

中学3年の冬休みは、毎日、塾のスケジュールが入っており、
地元の塾と隣町の本部を行き来することも珍しくなかった。
隣町の本部は離れた場所にあるため、
彼女の母親が私もついでに車に乗せて送り迎えしてくれていた。
そこで、私には忘れられない暖かな思い出ができた。

彼女は助手席に乗っており、私はその後ろの席に座っていた。
私が彼女へと手を伸ばし、彼女も前を見たまま私へと手を伸ばして
手を握り合った。
お互いピアノを習っていたので、相手の手のひらを
鍵盤に見立てて弾いてみたり、手を指で撫であった。
こんなに思いを感じられるなんて、
やはり手は体の中で一番敏感な器官なんだろうと思う。
ふわふわとしていて、
みっしりとつまった肉体を感じて、
息をするのがはばかられるくらい静かで、苦しい。
呼吸をすれば溺れてしまいそうで、
体が熱くなった。
手だけで交わっているような感覚だった。
ただ、幸せだった。
これから塾でつらい授業が待っていることも、
寝る間も惜しんで勉強しているために寝不足であることも、
すべて何でもないことのように思えるくらい、幸せだった。
この彼女とのやり取りが習慣としてあったからこそ、
勉強しなくても受かるような高校に行くために
必死に勉強を続け、主席合格できたのだと思っている。

あの時、もう既に彼女を好きだったわけだから、
私の片思い歴は相当長い。
恋愛なんかに興味が無さそうに見えて、
なんだかんだ言って一途なんだな。

私に遠慮せずに、意見をきちんと伝えてくる彼女に
いつも感動する。
彼女は分かっているのだ。
遠慮することと、慎むことの違いを。

明日にでも、彼女に電話してみようか。
20歳になる前に、彼女と話がしたい。

うわ、ないわ、と思ったこと

日記

私の大学では授業中にスマホをいじっている人が
たくさんいる。
私の大学での友人もそうだ。
その人は、授業中にスマホのゲームばかりしている。
むしろ、スマホを授業中にいじらなかったことはないであろう。
そして、板書が間に合わなくて「ノート見せて」と
ルーズリーフを持って行ってしまい、
私の方の板書が妨害されるということが起こっている。

大学は基本的に自由なので
成績は自己責任だ。
でも、人に迷惑をかけるのはどうかと思う。

あと、昼食を一緒に食べている時も
ずっとスマホを見ているのはどういうことなのか。
私と会話するよりもスマホの中の世界の方が
面白いのだろう。
まあ、それは仕方がない。
でも、食事中もスマホをいじり続けるのは
マナーの面でどうかしているように思えてしまう。
それに、一緒に食べている相手も
「あ、私との会話は面白くないんだな…」と
悲しい気持ちにさせてしまうだろう。
実際、私も虚しい気持ちになる。
この状況は、相手に非常に失礼である。
最近その友人がそういう状況であることが増えてきて、
きっとスマホ中毒になってしまったんだなと思っている。

でも、いい。
私はガラケーなのだが、
携帯をいじっていない分、
多くのことを学べているだろう。
スマホにのめりこんで、その時は楽しいかもしれないが、
後で後悔するのは自分だ。
私は得をしている、そう思うことにしよう。



手作りアイス

日記

今日、懐かしいものを食べた。
小学2年生の時以来食べていない、
母の手作りアイスだ。

動物性生クリームを使っているせいか、
とても濃厚な味わいだ。
一口食べてみて、
あれ?こんな味だったっけ?と思ったが、
食べ進めるうちにだんだん味を思い出してきた。
まだ冷やしたりなかったようでゆるかったのだが、
それがまた美味しかった。

今日は、
RUIの「泪月-oboro-」を聞いていた。
この曲の雰囲気も歌詞もかなり気に入っている。
皆さんもよかったら検索して聞いてみてほしい。

私がずっとかくしていたこと

日記

ずっとこのブログを更新していなかった。
まあ、色々あったのだ。
そして、訳あって少し記事を削除させてもらった。

私は今、晴れて大学生だ。
大学に来て感じたことをこれから書いてみる。

私は小学生の頃から、
「頭が良い」と言われてきた。
そのためか、次第にその言葉に自分が縛られてゆき、
「私は他の人よりも勉強ができなければならないんだ」
「私が『分からない』なんてことはあってはならないんだ」と
無駄にプライドだけが高くなっていった。
授業中に間違った回答を皆の前でしてしまった時などは、
恥ずかしくなってひどく落ち込んだりした。
いつまでもその光景が巡って頭から離れなかった。
「私は勉強ができるからこのクラスにいられる。
勉強でいい成績でなければこのクラスに、いや、学校に
私の居場所はない」とまで思っていた。
もう、「勉強が面白いから勉強する」というのではなく、
「皆の前で恥をかかないように」
「『頭の良い私』という立場から転がりおちないように」という
考えから勉強するようになってしまっていた。
それに加え、私に過剰な期待を寄せる祖父母によって、
私は自由に動けなくなっていった。
ただ一人、私に無責任な期待を寄せない母の前でだけは
楽になれた。

この状態は、中学生、高校生と成長するにつれひどくなった。

私は、長い間、自分の首を自分で絞めてきたのだ。

そして、私は大学生になった。
正直に言うと、今の大学は、第一志望校ではない。
第一志望校は不合格だったので、
願書を出せば合格してしまうような大学に来た。
「この学部があるなら、どこの大学でもいい」と
投げやりな気持ちで入った。
大学に、知り合いは一人もいなかった。
少し、ほっとした。

大学は地元とは違う県にあるため、
祖父母からも物理的に離れられた。
祖母からのメールには一切返事を返さなくなった。
電話も全て無視をしている。
やっと離れられたのに、つながりを一つでも
持ちたくないのだ。

この大学では、講演を聞いたり
グループディスカッションを行ったりする授業がある。
その授業は他の学部と合同で行われるので、
色々な人が同じグループにいる。
その授業に参加している人を見ていると、
寝落ちていたり、スマホをいじっていたりと
ろくに聞いていない人が半分以上いる。
その人たちを見て、
「もしかすると私はとんでもない大学に
来てしまったのかもしれない」と思った。
一方で、「まあこの大学だったらこの程度だろうな」という
感じもしていた。

その時、私は気付いたのだ。
「今、私の過去を知る人間はここにはいない。
つまり、『頭の良い、勉強の出来る私でなければいけない』だなんて
要求をする人間はいない。」

「ここで、やりなおせるんじゃないだろうか」

それに気付いた瞬間、私を縛っていた鎖が
砕け散ったような気がした。
すごく、気持ちが楽になった。
いつもいつも、ストレスをプライドで抑え込んで
きしんでいた感覚が消えた。

私はどんな私であってもいいのだと初めて思えた。

これが、私が長年隠していたことの一つだ。

なんだ、そんなことかと皆さんは思われたかもしれない。
けれど、私はずっと、苦しんできた。
もっと自由に、思うままに生きてみたかった。

抑圧され、ストレスだらけの日々を送ったことが
今の私を形作る要因だとしても、
私はその影におびえることなく、
自由に生きていいはずだ。
それに気付けたのは人生の転機といってもいいかもしれない。

この大学を選んで、本当に良かった。


そして、私が隠してきたもう一つのことをこれからお話ししたい。

皆さんはもう覚えていらっしゃらないだろうが、
2012年の春ごろに、なんだかよく分からない、
つかみどころのない記事を投稿していた。
そこで曖昧に記していたことを、
ここで今、書いてみようと思う。

嫌な予感がする方は、ここで読むのをやめて
引き返していただきたい。


2年前の春ごろ、私が親友に電話したときに
告げたこととはなんだったのか。

私は、あの日、その親友に告白した。
そう、そういう意味での告白だ。
同性愛じゃないのか?とか、そういうことは
どうでもよくなるくらい、彼女が好きだったのだ。
女性しか恋愛対象ではないということではなく、
好きになったのがたまたま彼女だった、
ただそれだけだ。
無駄に積み上げられたプライドのせいで
雁字搦めになっていたが、
彼女のことを考えている時は
幸せな気分になって、すべてを忘れていられた。

あの日、彼女はその告白に
「よく分からない」と答えた。
「ただ、いつ好きになるとも分からないから、
待っていて」というようなことも言われた。

拒絶はされなかったわけだが、
「気持ち悪い」と言われないとも限らない。
彼女がそんなことを言う性格ではないとふんで
起こした行動でもあったのだが、
普段の私ならこんなリスクの高いことはしない。

「大人しい」とよく言われていた私だが、
本来の、明るく活動的な性格がここで一時的に出ていた気がする。
「優等生」と言われ続けていたし、
トラブルを起こすと面倒くさいので
いつも大人しくしていただけであって、
小学生から高校生までの私は性格をずっと偽っていた。
母と二人で暮らし始めてからは、
家でだけは本当の性格で生きられた。
ああ、これも私がずっと隠し続けてきたことの
一つかもしれない。

…どれだけ私は自分を偽ってきたのだろう。
きっと、笑えないくらいには嘘を吐きすぎている。

時々衝動を抑えきれずに出てしまう本来の性格が、
抑圧され続けていたことによって
人を傷つける方向へ暴発し、
それによって起こってしまったトラブルを
大人しい性格に戻った私が
被害者面をして相手に罪をなすりつける。
何度もそんなことをしてしまった。
今更かもしれないが、心から相手に謝りたい。

これからは、自らを偽らずに人生を送りたいのだ。
もう、苦しむのはたくさんだ。

ここまで読んでくれてありがとう。
もしあなたの周りに似た人がいたら、
「そんなに頑張らなくてもいいんだ」と
教えてあげてほしい。
何重にも巻かれた目隠しを
ほどいてくれる人が現れれば
きっとその人の人生を変えられるだろう。

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紫苑

Author:紫苑
好きなことは音楽を聴いて弾くこと。
KOKIAさんの透き通った声が大好き。

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